関西人が標準語を話さないのは「東京が嫌い」だからじゃないよ!
日本の中でも特に相性が悪いと言われる、東京人と関西人。
メディアやネットの影響で、昔に比べれば“ノリの違い”は少なくなってる様に思いますが、今だに言葉の違いは健在です。標準語と関西弁は全然違います。
以前、こんな記事を書きました。
この記事では「標準語を話そうとする関西人」のあるあるを書きましたが、関西人の場合、みんながみんな東京で標準語を話そうとする訳じゃありません。
“標準語を頑なに拒む関西人”もまだまだ相当数存在しています。
実際に僕が首都圏で生活していた時にも、関西弁バリバリの人に何度も出会いました。
なぜ彼らは上京しても標準語を話そうとしないんでしょうか?
よく「関西人は東京への対抗心があるから標準語を話そうとしない」と言います。もちろんそういう人もいるかもしれません。
でもそれだけの理由で標準語を拒絶するには至らないと思うんですよ。大体そんな人でもテレビやYoutube等では普通に標準語聞いて笑ってますからね。
と言う事で、今回は僕が思う、関西人が標準語を話そうとしない理由を書いていこうと思います。
標準語に訳せない関西弁の表現がある
先に結論から言います。
僕が思う、関西人が標準語を話そうとしない最大の理由。それは「関西弁の独特な語感を標準語に訳せないから」です。
関西弁はよくキツい言葉とか言われます。でもネイティヴからすると全然そんな事はなくて、なんと言うか「ほのぼのとした感じ」があると思うんですね。
↓一回「ほのぼのしたカワイイ言語」だと思って関西弁を聴いてみてください。
どうですか?全然キツい感じじゃないでしょ?
同じ目線で喋ってる感じというか、平凡な感じというか・・言葉で完全に表現するのは難しいですが、関西弁にはそんな語感があるんですよ。
関西弁はそんな“関西弁でしか表現できない”語感を持っているので、標準語に訳すと、その語感が半分ぐらい消え去ってしまうんです。(しかもちょっとオカマっぽくなる)
同じ内容のことを話しても、標準語でするのと関西弁でするのでは全然違った印象になるんですね。
その訳せない関西弁の代表例が「〜てん」です。
標準語に訳せない「〜てん」とは?
例文を作ってみました。
例:「昨日びっくりドンキーでパフェ食べてん。いいやろぉ〜。」
どうですかこの例文。めちゃくちゃほのぼのしてるでしょ?この「ほのぼの感」は関西弁じゃないと表現できないと思います。
平凡なごく普通の人が、びっくりドンキーで「へへ〜」って言いながらパフェを食べる。そんな様子がイメージできますね。
このセリフは一見、パフェを食べたのを上から目線で自慢してる様にも思えます。
でもそれを関西弁で言うと、関西弁特有の「同じ目線で喋ってる感じ」が、いやらしさを全部消し去るんですね。
でもこれを標準語に訳すと・・?
例:「昨日びっくりドンキーでパフェ食べたの。いいでしょ〜。」
単なるオカマになりました。パフェをハンバーグに変えても一緒です。関西人から見るとこれは単なるオカマの昼下がりです。
この「食べたの」の「の」がダメなんですね。関西では語尾に「の」を付けると100%オカマです。
東京が嫌いとか大阪人のプライドがどうとかは関係ないんです。関西では語尾に「の」はオカマなんです!
関西人にとって標準語はこういう類の違和感のオンパレードなんです。映画とかドラマでは何の違和感もないんですけどね・・ほんと不思議ですよ。
まだある違和感を感じる標準語
もう一つ例を出してみましょう。例えばこれ。
例:「もう嫌や!どうしたらいいか分かれへん!」
かなり行き詰まってる感じがしますね。何をやってもうまくいかず、悔しさだけが心を締め付ける・・。かなり深刻な感じが伝わってきます。
でもこれを標準語に訳すと・・?
例:「もうヤダ!どうしたらいいか分かんない。」
本気で悩んでるんでしょうか?すごく軽い感じに聴こえます。
お気に入りの靴で道端のガム踏んじゃって取れないよ〜!ぐらいの話に聴こえますね。
関西人の耳には「ヤダ」と「分かんない」もオカマっぽく聞こえるんです。最初の頃の違和感は半端なかったですよ・・。
特に「ヤダ」は自然に言えるようになるまで時間がかかりました。
関西人の知られざる苦労
かなりオーバーに書きましたが、共感できる所はありましたか?
今回の記事は別に標準語をバカにしようと思って書いたんではありません。
実際に関西人が標準語を話そうとする場合、特に男性は、今回書いたような類の違和感と戦う必要があるんですよ。キャラも少しは変えないといけません。
そういう苦労ってあんまり語られない気がするので、言語化してみました。
ちなみに僕個人は関西弁も標準語も今は両方話すので、今回の記事で書いたような事はもう感じません。両方とも好きです。
以上、関西人が標準語を話そうとしない本当の理由でした。