“いつか死ぬ”のは本当に恐いことなのか?
今回は、一種のタブーとも言える“いつか死ぬことに対する恐怖”について、僕が思うところを書いていきます。
結論から言うと「いつか死ぬという事実」は恐いですが、「死そのもの」は怖くないです。
なぜそう思うのか?
以下、できるだけソフトな表現で書いていきますが、寝る前に読み始めると眠れなくなるかもしれません。ご注意下さい。
「永遠に意識がない」のは本当に恐い事なのか?
人が死を恐れる理由は色々ありますが、その中でも、最も恐いのは「半永久的に意識がない状態になる」事でしょう。
生まれてからずっと五感を通して、“この世”の情報が大量に入ってくる環境で生きてたのに、それが急になくなってしまう。
しかも“半永久的に”です。
来世があるかもしれないので“半永久的”と書きましたが、死んだ時点で記憶は全てなくなるので
少なくとも「この世」から「今の自分の人格」が永遠に消え去るのは間違いありません。
「この世から消え去るってどんな感じだろう・・?完全なる無になるのかな・・」
そう思うのも無理はないですよね。僕も5才の時に人はいつか死ぬことを知って、かなり動揺しました。
僕らの意識は毎晩、この世からいなくなっている
でもよく考えてみて欲しいんですよ。
僕ら毎晩、結構長いあいだ意識失ってますよね?
もちろん「寝る」のと「死ぬ」のは違います。死んだ人は夢をみることはないだろうし、呼吸だってしません。身体もありません。
でも「この世を認識していない」という点では「寝る」も「死ぬ」も同じはずなんです。
特に夢をみない、深い睡眠(ノンレム睡眠)に入ってる時は「完全なる無」にかなり近い状態です。
五感もほぼ止まってるので、実質、自分の意識が“この世にいない”と言っても過言ではない。
しかもそれは数分とかではなくて、かなり長い時間、しかも毎晩です。
もちろん死ぬのとは違って“永遠”ではないですが、6〜8時間ってかなり長いですよね?
つまり身体はずっとこの世にあっても、僕らの意識は毎晩、この世から長い時間いなくなってるんですよ。
死ぬとその“長い時間”が“永遠”になる訳ですが、それって恐いことでしょうか?
寝てるときに「起きたい」と思う人はいない
今は意識がある状態なので「意識がない状態」を不気味に思うかもしれませんが、実際に寝てる時は、意識がない自分を“気持ち悪い”と思うことはないですよね。
「毎晩、寝てるときにヒマでヒマでしょうがなくて、起きたい衝動に駆られる!」なんて人はいないし、
「毎晩、寝るのが恐くてたまらない」という人も稀です。
むしろ「もっと寝てたい!」と思う人のほうが圧倒的に多いんじゃないでしょうか?
何度も言うように「寝る」のと「死ぬ」のは違いますが、少なくとも寝てるときには「起きたい!」と思うことはないわけです。
じゃあ死んでるときも「生きたい!」とは思わないんじゃないでしょうか?
それならずっと死んでても不都合はないですよね。「生きたい!」と思わないんですから。何も恐くないです。
つまり何が言いたいかと言うと・・
この話、かなり反対意見がありそうですが、僕が言いたいのは
「永遠に意識がなくなる」のを恐いと感じるのは、それを意識がある状態で考えてるからじゃないか?
意識があるのが普通という世界で、意識がない状態を想像すると恐いですが、実際に意識がなくなってみると、それが永遠に続くとしても何とも思わないはず。
だから“死”そのものが恐いんじゃなくて、そこに向かっていくのが恐いだけなんだ。
そんな話です。何言ってるか分かりますかね?w
まとめ
くどいですが、「寝る」のと「死ぬ」のは違います。だから「寝てる自分」から「死んだあとの自分」を想像するのは意味がないかもしれません。
でも“死”というのは数少ない「現時点で確定してる未来」なので、タブー視するのは違うと思うんです。
老後のことは考えるのに、その先にある死は考えないなんておかしいですよ。
“いつか訪れる死”を意識することで、やる気が出たり、癒しになることだってあります。
みなさんも一度、“いつか訪れる死”について自分の考えを固めてみて下さい。
以前、死後の世界に対する考えも書いてます。もし良ければ。