何年もかけて英語を習得した人に、英語が話せるメリットを聞くと
「世界が広がった!」「外国人と話せるようになった!」の様な、聞かなくても分かることばかり言いません?
語学の習得はものすごく時間がかかるし、徐々に話せるようになるものなので、あんまり細かい事って覚えてないんですよ。
だから詳細に答えるのは意外と難しかったりします。
今回はそんな伝えづらい感覚を、ここ10年ぐらいの記憶を頼りに書いていきたいと思います。
- あの何とも言えない緊張感がなくなる
- 英語が通じない国でも英語話せると全然違う
- ただしそれにはデメリットも
- 英語がカッコイイ言語に聞こえなくなる
- 言語にカッコよさなんてない
- 便利さと引き換えに失ったもの
- まとめ
あの何とも言えない緊張感がなくなる
経験がある人は分かると思うんですが、英語が話せない、もしくはカタコトレベルの状態で海外旅行に行くと、ものすごく緊張しますよね。
普段当たり前のように使ってる日本語が全く使えない。何だか言葉狩りにあってるような、あの独特の感覚。
僕もまだ英語が話せなかった時に一人で韓国に行ったんですが、韓国の空港に着陸した瞬間からもう心臓バクバクでした。
機内の窓から外を見ると、空港の建物にハングルと英語のみで「仁川国際空港」と書いてあるし(日本語がない!)
飛行機の近くで仕事してる整備スタッフの様子も、日本とは何かが違います。
英語を話せなかった当時の僕にとって、日本語が通じない現地の人々(特に接客業の人)はもの凄く冷たい印象を受けました。
でも英語が話せるようになると、あの緊張感がなくなるんですよ。
もちろん英語が100パーセント通じるのは一部の国だけなので、多くの国で言葉の壁はまだ存在します。
英語が全く通じない国だってたくさんありますからね。
英語が通じない国でも英語話せると全然違う
例えば中国やロシアなんかは絶望的に英語が通じません。
英語が話せても、依然としてコミュニケーションに問題を抱えたままの旅行になります。
でもそんな国でも、英語が話せるだけで精神的な不安が全然違うんですよ。
通じないのに、ですよ?
なぜかと言うと、そんな国でも現地の人々は「英語は世界共通語」という認識はあるんです。
つまり英語は実際のところ、世界共通語として完全に機能してるとは言えないんですが、
「英語は世界共通語」という“認識自体”は世界共通なんですよ。
この事実が、海外に行く際の緊張感を大幅に和らげてくれるんですね。例えそれが非英語圏であっても。
「通じないなら意味ないじゃないか」と思うかもしれませんが、このメリットは大きいです。
世界のどこに行っても「世界共通語を話せる人」としてそこに存在する事ができるんですから。
「なんで英語も話せないのに外国来たの?」みたいな顔をされる事がないんです。
これは英語特有のメリットであり、英語最大のメリットとも言えるでしょう。
ただしそれにはデメリットも
ただ緊張感がなくなるのはメリットであると同時に、デメリットでもあると個人的には思ってます。
緊張せずに海外に行けるようになるのは便利でいいんですが、その一方で、海外でしか味わえないスリルや非日常感が大幅に減ってしまうんですよ。
言葉が通じなくて困るって究極の非日常だと思いませんか?英語がカタコトしか話せないのに海外に行くのって、これ以上になく恐いですよね。
恐いということはつまり、スリル満点なんです。
しかもそれって英語ネイティブは一生感じることのできない感覚じゃないですか。彼らは「英語を話せない人」には一生なれないですからね。
言わば非ネイティブの特権です。
それが英語を学ぶことで失われてしまうんです。これ共感してくれる人いますかね。
英語が得意じゃない時の方が海外旅行ってスリル満点で面白かったよなぁ~って思います。
英語がカッコイイ言語に聞こえなくなる
緊張しなくなるのは話す時も同じです。
例えばホテルにチェックインするときも、昔はあんなにドキドキしてたのに、今は何とも思いません。
もう何度もやってるので、もはや「いつもの会話」です。日本でのチェックインと大差ありません。
そういう状態になると、だんだん英語の言語そのものに対する感じ方も変わってきます。
あんなにカッコよく聴こえてた英語が、慣れれば慣れるほど、何の変哲もない、平凡な言語に聞こえるようになるんです。
※たぶん個人差あります
カッコイイ喋り方や言い回しというのはもちろんあるし、それをカッコいいと感じるのは変わりません。
でも日常の中で、人々が話してる普通の英語を「カッコイイ」と感じることがなくなりました。
ウソでしょ!?って思う人もいるかもしれませんね。
でも日本語を話してる時を思い浮かべて欲しいんですよ。
言語にカッコよさなんてない
日本語ってどちらかというと、落ち着いた、キレイなイメージの言葉ですよね。
でも普段日本で生活してる時に、日本語を喋りながら「落ち着いた感じのキレイな言葉だなぁ~」って思いますか?思わないでしょ?
本来は言葉そのものに「かっこよさ」「キレイさ」なんてないんです。
英語に慣れてなくて、言葉に含まれてる感情や語感をちゃんと感じることが出来てないから、音の印象だけが伝わって「かっこいい」と思うに至る。
習得が進めば進むほど、その言語が普通の言語に聴こえるようになるんです。
中国語だってそうです。
実は僕、英語以外に中国語も数年やってるんですが、意味が理解できるようになると聴こえ方が全く変わりました。
以前この記事でも書きましたね。
外国語だけじゃなくて方言でも同じです。
僕は普段、関西弁を話して生活してるんですが、ガラの悪い言葉を話しているという感覚はありません。
関西人にとって関西弁はあくまで「普通の言葉」。言葉自体にガラがいいも悪いもないんです。
あるのは“ガラのいい喋り方”と“ガラの悪い喋り方”だけです。
言葉は単なるツールなので、ずっと使ってると、それ自体のカッコよさなんて見えなくなるんですね。
便利さと引き換えに失ったもの
「カッコよく聴こえなくなる」なんて些細な事なので、デメリットという程ではないです。
でも何だか、便利さと引き換えに夢がなくなった感じがするんですよ。
これまでは
「かっこいい言葉が世界共通語になってる世界(でも話せない)」
に生きてたのに
話せるようになると
「平凡な言葉が世界共通語になってる世界(でも話せるから便利)」
になってしまった。
ちょっと悲しい。
これ共感してくれる人いますかね?いないかなw
まとめ
いろいろ書いてきましたが、英語を話せるようになって変わったことは結局、冒頭に書いた
「世界が広がった!」
「外国人と話せるようになった!」
の様な、聞かなくても分かることに集約されます。
細かいところを書いていくと、こんな心の動きがあるかな〜?という感じ。
繰り返しになりますが、今回書いた事はあくまで僕が感じたことなので、個人差あると思います。
こんなことを思う人もいる、ぐらいに考えて下さい。
僕の言いたいことは以上です。