時が止まったヤバい国「ミャンマー」にタイから川を越えて行ってみたぞ!!
こんにちは、どこにでも行くドスコイです。
今回は、タイからミャンマーへの冒険の旅をお届けします。
ミャンマーは、国のトップが監禁されているという、まさに「時が止まったヤバい国」。そんなミャンマーに、タイから川を越えて行ってみました。
旅の始まりは、タイ人が20年住んでいるベテランの気まぐれバンコクさんと一緒にミャンマーへ。一人だったらもしかしたら諦めたかもしれないですね。
しかし、気まぐれバンコクさんがタイ語を理解しているので、それは力強かったです。
ミャンマーに入国すると、その汚い顔を渡る時が来ました。ミャンマー側に渡り、入国手続きを経て、ミャンマーの町に足を踏み入れました。
ここは、軍が実権を握っていて、時間が止まってしまったような国です。
しかし、ミャンマーの人々は普通に生活しています。町並みは若干違うように見えますが、それは見慣れないからかもしれません。
ミャンマーの旗が立っている景色は、何とも言えない感動を覚えました。
ミャンマーの町を歩いていると、女性が男性もそうかな田中っていうのを塗っているのを見かけました。
また、男性が巻きスカートみたいな博物館を着ているのも特徴的でした。
ミャンマーの町を散策した後、ミャンマーからタイが見える場所に行きました。目の前にタイが見えるこの味わい深いところで、ミャンマーの旅は終わりました。
しかし、この旅は終わりではありません。
なぜなら、私の尻を犬が噛んでしまったからです。
その後、狂犬病になったのかどうなったのかは、週末海外の前の大輔さんのチャンネルで詳しく話しています。
※この記事はぜんぶAIが書きました。
どこにでも行くドスコイがこれまでに泊まったホテル まとめ
ドスコイが「どこにでも行くドスコイ」チャンネルで泊まったホテルを、アゴダのリンクと共に紹介します。
※今は世界中が鎖国状態なので、この記事内のホテルにはたどり着けません。
ドスコイがこれまでに泊まったホテル
「どこにでも行くドスコイ」チャンネルの特徴のひとつに、個性的なホテルに泊まるというのがあります。
部屋から北朝鮮が見えるホテルに泊まったり、インドの汚染された川に浮かぶ船のホテルに泊まったり・・。
みなさんもそんな楽しげなホテルに泊まりたいはずなので、ここでひとつづつ紹介します。
部屋から北朝鮮が見えるホテル
中国と北朝鮮の国境の街・丹東にある、部屋から北朝鮮が見えるホテルに泊まりました。
国境の川沿いに立ってるので、本当に目の前に北朝鮮・新義州市の街並みが広がり、味わい深い時間を過ごすことができます。
このホテルの詳細はこちら↓
ベランダでいい感じの朝食を食べれるタイ・ラオス国境のホテル
たどり着けない場所にあるホテルを延々と紹介しても無意味なので、続きはワクチンができた後に書きまーす
どこにでも行くドスコイは男?女?それとも・・。プロフィールを公開!
チャンネル登録7万人ぐらいのYouTuber、どこにでも行くドスコイ(行けるとこいくドスコイは約1万人)のプロフィールを特別大公開します。
- 見ただけでは分からないドスコイの性別
- 謎に包まれたドスコイの年齢
- 住んでる場所は関西
- YouTubeチャンネルが伸びるキッカケになったのはこの動画
- でも2020年以降は例のウイルスで大ピンチに
- ドスコイはインスタとTikTokもやってる
見ただけでは分からないドスコイの性別
結論から言うと、おばちゃんじゃなくて男です。
でも男が好きなんでしょ?という質問もよく頂きますが、ゲイでもありません。
大昔に女の人と付き合ったこともあります。本当ですよ。
謎に包まれたドスコイの年齢
ドスコイは年齢も見ただけでは分かりません。
最初は30代とだけ言ってたんですが、今は公表してます
37歳です
住んでる場所は関西
住んでる場所は近畿地方。これもそれ以上は公表してません。ネットは恐いですからね。
ある日突然ピザが100枚ぐらい送りつけられる可能性だってあるので、住んでるところはトップシークレットです。
以前4年ほど首都圏に住んでたことがあります。2回引っ越ししていて、新小岩→松戸→日吉の順に住みました。
あと海外ではオーストラリアに1年弱ぐらい住んでた事があります。そこで英語を習得しました。
その後、独学で中国語も習得してます。(でも旅行でちょっと使えるぐらいのレベル)
YouTubeチャンネルが伸びるキッカケになったのはこの動画
なぜかこの動画がめちゃくちゃ伸びたので、その需要に対応すべく、カオスな動画を追加でどんどん投稿してチャンネル登録を増やしていきました。
具体的には北朝鮮に行く遊覧船の動画、インドの電車に命がけで乗る動画など。ブログ用に撮ってた動画をつなぎ合わせてYouTube動画にしました。
その後、YouTube動画の撮影旅行に行くようになり、これまでに以下の旅行に出かけています。
海外に行けなくなった後は
この全ての旅行の動画が「どこにでも行くドスコイ」チャンネルにあります。
でも2020年以降は例のウイルスで大ピンチに
とまぁそんな感じで、味わい深い海外旅行をくり返すことでチャンネル登録を増やしてきたドスコイですが、
みなさんもご存知の通り、特に3月以降、僕を含めた「海外旅系YouTuber」は危機的な状況に陥っています。
海外旅行に行くのが相当困難な状況になってしまいました。
そんな状況でも何とかYouTube活動を継続するため、2020年は以下の処置をとりました
- 海外旅行に行けないので、状況を見つつ国内旅行
- サブチャンネル「行けるとこいくドスコイ」の更新頻度アップ
- 生配信専用チャンネルを作って生配信の頻度アップ
秋ごろまではこの体制で何とか活動できてたんですが、11月終わりごろから再生数が下がってきました。
どん底のまま2021年を迎えたんですが、
- 2月後半に出したGoogleマップ実況がヒット
- 3月に「きほんひとり」さん等、東海地区のYouTuberさんとのコラボ後、数字が大幅に改善
- 4月以降に出したGoogleマップ実況の動画が、立て続けに10万回以上再生される状況に
今の異様な世の中に対応するため、変化をしつづけてます。
【2022年3月最新情報】
2年間試行錯誤した結果、街歩きチャンネルになりました。
色々ありましたが調子いいです。
フリー関西人シリーズも行けるとこいくドスコイchで始めました
【2022年12月追記】
グッズ販売始めました
ドスコイはインスタとTikTokもやってる
最初はSNSはツイッターしかやってなかったドスコイですが、時が経つにつれインスタやTikTokに出没するようになりました。
インスタ。
以上です!
“いつか死ぬ”のは本当に恐いことなのか?
今回は、一種のタブーとも言える“いつか死ぬことに対する恐怖”について、僕が思うところを書いていきます。
結論から言うと「いつか死ぬという事実」は恐いですが、「死そのもの」は怖くないです。
なぜそう思うのか?
以下、できるだけソフトな表現で書いていきますが、寝る前に読み始めると眠れなくなるかもしれません。ご注意下さい。
「永遠に意識がない」のは本当に恐い事なのか?
人が死を恐れる理由は色々ありますが、その中でも、最も恐いのは「半永久的に意識がない状態になる」事でしょう。
生まれてからずっと五感を通して、“この世”の情報が大量に入ってくる環境で生きてたのに、それが急になくなってしまう。
しかも“半永久的に”です。
来世があるかもしれないので“半永久的”と書きましたが、死んだ時点で記憶は全てなくなるので
少なくとも「この世」から「今の自分の人格」が永遠に消え去るのは間違いありません。
「この世から消え去るってどんな感じだろう・・?完全なる無になるのかな・・」
そう思うのも無理はないですよね。僕も5才の時に人はいつか死ぬことを知って、かなり動揺しました。
僕らの意識は毎晩、この世からいなくなっている
でもよく考えてみて欲しいんですよ。
僕ら毎晩、結構長いあいだ意識失ってますよね?
もちろん「寝る」のと「死ぬ」のは違います。死んだ人は夢をみることはないだろうし、呼吸だってしません。身体もありません。
でも「この世を認識していない」という点では「寝る」も「死ぬ」も同じはずなんです。
特に夢をみない、深い睡眠(ノンレム睡眠)に入ってる時は「完全なる無」にかなり近い状態です。
五感もほぼ止まってるので、実質、自分の意識が“この世にいない”と言っても過言ではない。
しかもそれは数分とかではなくて、かなり長い時間、しかも毎晩です。
もちろん死ぬのとは違って“永遠”ではないですが、6〜8時間ってかなり長いですよね?
つまり身体はずっとこの世にあっても、僕らの意識は毎晩、この世から長い時間いなくなってるんですよ。
死ぬとその“長い時間”が“永遠”になる訳ですが、それって恐いことでしょうか?
寝てるときに「起きたい」と思う人はいない
今は意識がある状態なので「意識がない状態」を不気味に思うかもしれませんが、実際に寝てる時は、意識がない自分を“気持ち悪い”と思うことはないですよね。
「毎晩、寝てるときにヒマでヒマでしょうがなくて、起きたい衝動に駆られる!」なんて人はいないし、
「毎晩、寝るのが恐くてたまらない」という人も稀です。
むしろ「もっと寝てたい!」と思う人のほうが圧倒的に多いんじゃないでしょうか?
何度も言うように「寝る」のと「死ぬ」のは違いますが、少なくとも寝てるときには「起きたい!」と思うことはないわけです。
じゃあ死んでるときも「生きたい!」とは思わないんじゃないでしょうか?
それならずっと死んでても不都合はないですよね。「生きたい!」と思わないんですから。何も恐くないです。
つまり何が言いたいかと言うと・・
この話、かなり反対意見がありそうですが、僕が言いたいのは
「永遠に意識がなくなる」のを恐いと感じるのは、それを意識がある状態で考えてるからじゃないか?
意識があるのが普通という世界で、意識がない状態を想像すると恐いですが、実際に意識がなくなってみると、それが永遠に続くとしても何とも思わないはず。
だから“死”そのものが恐いんじゃなくて、そこに向かっていくのが恐いだけなんだ。
そんな話です。何言ってるか分かりますかね?w
まとめ
くどいですが、「寝る」のと「死ぬ」のは違います。だから「寝てる自分」から「死んだあとの自分」を想像するのは意味がないかもしれません。
でも“死”というのは数少ない「現時点で確定してる未来」なので、タブー視するのは違うと思うんです。
老後のことは考えるのに、その先にある死は考えないなんておかしいですよ。
“いつか訪れる死”を意識することで、やる気が出たり、癒しになることだってあります。
みなさんも一度、“いつか訪れる死”について自分の考えを固めてみて下さい。
以前、死後の世界に対する考えも書いてます。もし良ければ。
このブログを読むと変わる“3つの価値観”
こんにちは、このブログを書いているどすこいです。
当ブログ「どこにでも行くドスコイのブログ(旧名日本語でどうぞ)」は日本語だけで世界中の色んな情報が得られるサイトを作るぞ!と突然思い立って、2年ほど前に始めました。
僕が世界のあちこちに行ったり、住んだりする中で得た「独特なモノの見方」を、皆さんとシェアできればと思います。
ちなみに僕のプロフィールを4行で書くと
- 30代
- できる言語は英語と中国語。英語はオーストラリアで1年ワーホリ
- 行ったことある国は欧米やアジアの30ヶ国
- 観光地もいいけど、街歩きのほうが好き。高層ビル大好き
です。
では早速、当サイトを読むことで得られるメリットについて書いていきます。
その1、世界の見え方が変わる
当ブログではインドや北朝鮮を筆頭とした「強烈な異世界」を生々しく紹介しています。
特にインドの衝撃は凄まじくて、実際に現地に行って分かったことを9回に分けて書きました。
北朝鮮は、上陸はしていないんですが、中国からボートに乗って北朝鮮国内の川を遊覧する事に成功しました。これも記事で紹介しています。
この船に関しては動画も出しました。
この他にも極東ロシアや、バングラデシュなど、異世界を紹介する記事がたくさんあるので読んでみてください。
その2、英語や中国語のイメージが変わる
これだけあちこち行くと、語学に関しても「独自の価値観」が芽生えてきます。
特に英語はこれほど過大評価されてる技能はないと思っていて、その辺の考えもここに書いてます。
グローバル化する社会で、これからますます英語は必要になる!とよく言われますよね。
でも本当に英語は、日本人の大多数にとって必要なものでしょうか?
日本には、英語が必要じゃないのに勉強して、結局使わない生活をしてる人が多すぎます。
当サイトではそんな人をこれ以上増やさないために、“意識低め”の英語記事を発信しています。
意識高い系の人からすると「はぁ?」って感じだと思いますが、まぁ読んでみてくださいよ。それなりに納得できるはずですから。
ちなみに中国語もかなり誤解されてる言語だと思うので、それもここ↓に書きました。
その3、東京と関西のイメージが変わる
日本の二大都市である東京と大阪。
僕は出身が関西で、首都圏にも4年住んだ経験があるので、この二大都市についても色々思うことがあります。
特に関西人が訛りがちな標準語を紹介したこの記事↓はアクセスが多くて、当サイトの人気ナンバーワンの記事になってます。
ここから生まれた「どこにでも行くドスコイ」というYoutubeチャンネルも、日に日にチャンネル登録が増えてます。
(最初はイントネーションを紹介するチャンネルでしたが、今は北朝鮮やインドに行くチャンネルになってます)
その他にも・・
海外、語学、東京大阪以外にも、極端な持論を述べた記事がたくさんあります。
特にこの二つは人気。
これ以外にも「人が生まれてくる理由」等、この極端な話シリーズ人気なので是非読んでみてください。
サイト内の画像は一部を除いて自分で現地に出向いて撮ったものです。転載したい場合はツイッターで教えてください。↓
どすこい(日本語でどうぞ) (@nihongode_dozo) on Twitter
このサイトにはGoogle adsenseやその他、アフィリエイトを入れて「お金もうけ」をしています。
吉野家でお腹いっぱいになるかならないか程度の「お金もうけ」ですが、それがブログを続けるモチベーションになってます。
今回はアクセスして頂き、ありがとうございました。
英語が話せるってどんな感じ?デメリットも含めてお答えします
何年もかけて英語を習得した人に、英語が話せるメリットを聞くと
「世界が広がった!」「外国人と話せるようになった!」の様な、聞かなくても分かることばかり言いません?
語学の習得はものすごく時間がかかるし、徐々に話せるようになるものなので、あんまり細かい事って覚えてないんですよ。
だから詳細に答えるのは意外と難しかったりします。
今回はそんな伝えづらい感覚を、ここ10年ぐらいの記憶を頼りに書いていきたいと思います。
- あの何とも言えない緊張感がなくなる
- 英語が通じない国でも英語話せると全然違う
- ただしそれにはデメリットも
- 英語がカッコイイ言語に聞こえなくなる
- 言語にカッコよさなんてない
- 便利さと引き換えに失ったもの
- まとめ
あの何とも言えない緊張感がなくなる
経験がある人は分かると思うんですが、英語が話せない、もしくはカタコトレベルの状態で海外旅行に行くと、ものすごく緊張しますよね。
普段当たり前のように使ってる日本語が全く使えない。何だか言葉狩りにあってるような、あの独特の感覚。
僕もまだ英語が話せなかった時に一人で韓国に行ったんですが、韓国の空港に着陸した瞬間からもう心臓バクバクでした。
機内の窓から外を見ると、空港の建物にハングルと英語のみで「仁川国際空港」と書いてあるし(日本語がない!)
飛行機の近くで仕事してる整備スタッフの様子も、日本とは何かが違います。
英語を話せなかった当時の僕にとって、日本語が通じない現地の人々(特に接客業の人)はもの凄く冷たい印象を受けました。
でも英語が話せるようになると、あの緊張感がなくなるんですよ。
もちろん英語が100パーセント通じるのは一部の国だけなので、多くの国で言葉の壁はまだ存在します。
英語が全く通じない国だってたくさんありますからね。
英語が通じない国でも英語話せると全然違う
例えば中国やロシアなんかは絶望的に英語が通じません。
英語が話せても、依然としてコミュニケーションに問題を抱えたままの旅行になります。
でもそんな国でも、英語が話せるだけで精神的な不安が全然違うんですよ。
通じないのに、ですよ?
なぜかと言うと、そんな国でも現地の人々は「英語は世界共通語」という認識はあるんです。
つまり英語は実際のところ、世界共通語として完全に機能してるとは言えないんですが、
「英語は世界共通語」という“認識自体”は世界共通なんですよ。
この事実が、海外に行く際の緊張感を大幅に和らげてくれるんですね。例えそれが非英語圏であっても。
「通じないなら意味ないじゃないか」と思うかもしれませんが、このメリットは大きいです。
世界のどこに行っても「世界共通語を話せる人」としてそこに存在する事ができるんですから。
「なんで英語も話せないのに外国来たの?」みたいな顔をされる事がないんです。
これは英語特有のメリットであり、英語最大のメリットとも言えるでしょう。
ただしそれにはデメリットも
ただ緊張感がなくなるのはメリットであると同時に、デメリットでもあると個人的には思ってます。
緊張せずに海外に行けるようになるのは便利でいいんですが、その一方で、海外でしか味わえないスリルや非日常感が大幅に減ってしまうんですよ。
言葉が通じなくて困るって究極の非日常だと思いませんか?英語がカタコトしか話せないのに海外に行くのって、これ以上になく恐いですよね。
恐いということはつまり、スリル満点なんです。
しかもそれって英語ネイティブは一生感じることのできない感覚じゃないですか。彼らは「英語を話せない人」には一生なれないですからね。
言わば非ネイティブの特権です。
それが英語を学ぶことで失われてしまうんです。これ共感してくれる人いますかね。
英語が得意じゃない時の方が海外旅行ってスリル満点で面白かったよなぁ~って思います。
英語がカッコイイ言語に聞こえなくなる
緊張しなくなるのは話す時も同じです。
例えばホテルにチェックインするときも、昔はあんなにドキドキしてたのに、今は何とも思いません。
もう何度もやってるので、もはや「いつもの会話」です。日本でのチェックインと大差ありません。
そういう状態になると、だんだん英語の言語そのものに対する感じ方も変わってきます。
あんなにカッコよく聴こえてた英語が、慣れれば慣れるほど、何の変哲もない、平凡な言語に聞こえるようになるんです。
※たぶん個人差あります
カッコイイ喋り方や言い回しというのはもちろんあるし、それをカッコいいと感じるのは変わりません。
でも日常の中で、人々が話してる普通の英語を「カッコイイ」と感じることがなくなりました。
ウソでしょ!?って思う人もいるかもしれませんね。
でも日本語を話してる時を思い浮かべて欲しいんですよ。
言語にカッコよさなんてない
日本語ってどちらかというと、落ち着いた、キレイなイメージの言葉ですよね。
でも普段日本で生活してる時に、日本語を喋りながら「落ち着いた感じのキレイな言葉だなぁ~」って思いますか?思わないでしょ?
本来は言葉そのものに「かっこよさ」「キレイさ」なんてないんです。
英語に慣れてなくて、言葉に含まれてる感情や語感をちゃんと感じることが出来てないから、音の印象だけが伝わって「かっこいい」と思うに至る。
習得が進めば進むほど、その言語が普通の言語に聴こえるようになるんです。
中国語だってそうです。
実は僕、英語以外に中国語も数年やってるんですが、意味が理解できるようになると聴こえ方が全く変わりました。
以前この記事でも書きましたね。
外国語だけじゃなくて方言でも同じです。
僕は普段、関西弁を話して生活してるんですが、ガラの悪い言葉を話しているという感覚はありません。
関西人にとって関西弁はあくまで「普通の言葉」。言葉自体にガラがいいも悪いもないんです。
あるのは“ガラのいい喋り方”と“ガラの悪い喋り方”だけです。
言葉は単なるツールなので、ずっと使ってると、それ自体のカッコよさなんて見えなくなるんですね。
便利さと引き換えに失ったもの
「カッコよく聴こえなくなる」なんて些細な事なので、デメリットという程ではないです。
でも何だか、便利さと引き換えに夢がなくなった感じがするんですよ。
これまでは
「かっこいい言葉が世界共通語になってる世界(でも話せない)」
に生きてたのに
話せるようになると
「平凡な言葉が世界共通語になってる世界(でも話せるから便利)」
になってしまった。
ちょっと悲しい。
これ共感してくれる人いますかね?いないかなw
まとめ
いろいろ書いてきましたが、英語を話せるようになって変わったことは結局、冒頭に書いた
「世界が広がった!」
「外国人と話せるようになった!」
の様な、聞かなくても分かることに集約されます。
細かいところを書いていくと、こんな心の動きがあるかな〜?という感じ。
繰り返しになりますが、今回書いた事はあくまで僕が感じたことなので、個人差あると思います。
こんなことを思う人もいる、ぐらいに考えて下さい。
僕の言いたいことは以上です。
30代になると流行にウトくなる原因は「脳の老化」だけじゃないよ!
「30を越えるとだんだん流行についていけなくなる」といわれます。
僕も10代や20代の頃は「そんなまさか〜」と思ってましたが、30代になった今、本当にそうなりつつあって軽く“老い”を感じています。
新しいものを受け入れ難くなってる最大の理由はもちろん「脳の老化によって柔軟性が失われてつつあるから」でしょう。それは言うまでもないです。
でも本当にそれだけでしょうか?僕は他にも原因があると思うんです。
今回はそれについて書いていきます。
“新しい流行”は若者向けに作られてることが多い
“新しいもの”は若い人向けに作られてることが多いですよね。
例えばこの記事を書いてる2019年2月時点で人気のものだと
- Tik Tok
- インスタグラム
- YouTuber
なんかは30代以上が“比較的新しいもの”と認識してるものだと思います。これらは3つとも、人気なのはほとんど若者向けのコンテンツです。
TikTokは女子高生が楽しそうに踊ってるし、YouTuberは小・中学生が喜びそうなバカ騒ぎ動画がたくさん並んでいます。
「Tik Tokおじさん」とか「ビジネスパーソン向けの意識高い系YouTuber」もいるにはいるんですが、そんなのほんの一部ですよね。
ほとんどのコンテンツは10代か20代向けに作られていて、30代以上の人が観ると、どうしてもバカにしてしまうと言うか、違和感を感じるものが多い状況になってます。
この“違和感”が、新しい流行についていく上での大きな障壁になってると思うんですよ。
なぜ30を越えると違和感を感じてしまう?
なぜ30代になると「若者向けのコンテンツ」に違和感を感じて、時にはバカにしてしまうのか?
これ答えは単純で、自分を「若者だと思ってない」からなんですよ。
若者だと思ってないから、「若者向け」のものを観ると若干ひいてしまう。自分を「若い」と思ってる若者と同じ目線でコンテンツを見れなくなってしまうんです。
10代と20代は「若者」という共通点があるので、まだ感覚的には近いと思うんです。
20代後半にもなると少し若者感が薄れては来ますが、まだ「おじさん」「おばさん」とは違いますよね。
その時点ではまだ「若者」という感覚は捨てきれてないはずです。
でも30代になるとそれが変わるんですよ。
31〜2歳ぐらいまではまだ「若者」の余韻はあるんですが、それを越えるとだんだん自分の中に「中年」という意識が芽生えてきます。
その時、価値観が急激に変わるんですよ。生まれて初めて若者じゃなくなるんです。
そんな中で、女子高生が楽しそうに踊るTik Tokなんかが出てくると、もう全くついていけません。
20代の子すら同じ目線で見ることが出来ないのに、女子高生なんてもう「児童」にしか見えない。
そんなのを観てる自分が恥ずかしいとすら思えてきます。
そしていつの間にか新しいものに触れなくなって、時代のアップデートが止まってしまうんですね。
自分を若者だと思ってるか、そうじゃないか。この違いは脳の老化と同じぐらい重要だと思うんですがどうでしょうか?
過去の自分を否定されてるような気持ちになる?
あともう一つ、新しいものを受け入れ難くなる理由としては、「今まで自分がやってきた事を否定されてるような気持ちになる」というのもあると思います。
例えばこのツイートを見てください。
みんな老害にならないように気をつけてね。特に英語ができる人。 老人になった時に「ワシが若い頃は英語は苦労して習得したものだ。今の若者は自動翻訳を使うから頭が退化している。自分の頭で話せ!」とか言っちゃダメだよ
— 上から目線のドラえもんbot (@uekaramesen) 2019年2月9日
これかなりリアルな未来の老害エピソードだと思いませんか?w
今必死で英語を勉強してる人たちはドキッとする話だと思います。
若い頃に必死で英語を勉強して、やっとの思いで話せるようになったのに、数十年後に国際的なビジネスの現場で
「そんな日本人訛りの英語より、自動翻訳が話す完璧な英語のほうが相手も聞き取りやすいので、これ使ってください」
とか言って自動翻訳のデバイス渡されたら、上のツイートのセリフ言いたくなりますよねw
「新しい流行」は、別に受け入れられなくても個人の自由だと思いますが、
新しい“テクノロジー”に関しては、あまり拒絶すると老害になりかねないので、そこは無理にでも受け入れたいとこですね。
まとめ
ということで今回の話、短くまとめると
- 新しい流行は基本、若者向けに作られている
- 30を越えると「自分は若者」という意識がなくなるので、若者向けのものに違和感を感じるようになる
- その結果、時代のアップデートが止まってしまう。
たぶんTik Tokおじさんのような、30を超えても新しい流行を楽しめるような人って、自分が中年だと言う意識がないんじゃないですかね?
新しいものを受け入れられないのは僕はカッコ悪いことだと思うので、そういう人ホント尊敬します。
常に年相応である必要はないですもんね。以上、どすこいでした。
関連記事
大阪がメディアに出てくると必ず道頓堀なのはなぜ?
大阪がメディアに出てくるときって、大体いつも道頓堀か新世界ですよね。
少なくとも東京メディアに、梅田やOBPの高層ビル群がドーンと登場したり、中之島の都市的な景観が映し出されることは基本ありません。
カオスな感じの街で、カオスな見た目のおばちゃんが大きな声で喋ってる。それが大阪のステレオタイプなイメージとして全国的に定着しています。
なぜそんな事になってるんでしょうか?
よくネットには「東京は大阪が嫌いだから、“カッコイイ大阪”のイメージを意図的に全国に流さないようにしている!」とか書かれてたりします。
僕も昔はそれを信じていました。
でもここ数年、こうやってブログを始めてコンテンツを作っていると、考えが変わってきたんです。
東京メディアがミナミばっかり使いたくなる気持ちが今は分かるんですよ。
今回はそれについて書いていきます。
道頓堀は大多数の大阪人にとって「大阪らしい場所」じゃない
写真は大阪でいちばん有名な景色とも言える、グリコの看板。
このグリコの看板がある道頓堀の一帯は、関西以外の人が想像する「ステレオタイプの大阪」そのまんまの場所で、とにかく町中がド派手です。
観光客にとってはこの場所こそが大阪らしさを感じられる場所で、テンションが上がるスポットだと思うんですが、
多くの大阪人(特に北摂の人)にとって道頓堀は全くそんな場所ではありません。
こんなド派手な世界で日常的に生活してる大阪人なんてごく一部だし、そんな道頓堀が大阪のイメージとして定着してる事を迷惑に思っている人たちもたくさんいます。
特徴的な風景のほうが都合がいい?
だって地元をメディアで紹介してもらうなら、普通はその町の一番イメージのいい所を映してほしいじゃないですか。
特に大阪のような大都市だと、高層ビルが立ち並ぶ様子や、洒落た街並みなど「大都市らしい姿」を映してほしいと思うのは当然ですよね。
でも残念ながらコンテンツを作る側はそういう風には考えないんですよ。
作り手としては、少しでもその街が持つ個性を活かしたくなるので「カッコいい風景」よりも「特徴的な風景」を使いたくなるんです。
例えば東南アジアのタイを紹介するコンテンツだったら
洗練された高層ビルの写真もカッコよくていいんですが、それよりも
こんな感じの写真の方が、コンテンツを作る側としては「おっ、これ使おうかな」となります。
だってこっちのほうがインパクトがあるでしょ??それに何と言ってもこの写真すごくタイっぽいですよね。
現地のタイ人もそう思うかは分かりませんが、少なくとも日本人の目から見てこの建物はタイっぽく映るはずです。
それに対して1枚目の高層ビルの写真はどうでしょうか。
洗練はされてるものの個性が弱いので、パッと見でどこの景色か分からないですよね。アメリカと言われれば信じてしまうレベルです。
別にこの写真を使うと読者が混乱する!とかそういう事はないと思います。でもわざわざこんなタイっぽくないものを使おうとは普通思わないんですよ。
例えそれが現地の人にとって日常的な風景だったとしても。
イメージ画像には多少ステレオタイプが入った“無難な画像”が最適なんです。
「大阪=ミナミ」は無難な選択がくりかえされた結果
東京メディアが道頓堀や新世界の映像を使うのも、たぶん同じような理由のはずです。
ミナミのド派手な街並みは「首都東京とは違う文化を持った西の大都市・大阪」をイメージする映像として、とても都合がいいんですよ。
梅田や中之島の景色はミナミに比べて上品でカッコイイんですが、個性が弱いので、大阪をイメージできる「無難な風景」としては使いづらいんです。
例えば大阪の話をするときに
こんな写真を出されても、どこなのかサッパリ分からないですよね。
「東京の天王洲アイルのほうのビル群だよ」と言われても信じてしまうレベルです。(中之島の風景です)
東京メディアがミナミの風景ばかり流すから知られてないだけだ!という見方も一応出来なくはないです。
でもさすがにこの景色は大阪ならではの特徴がほとんどないので、“無難な写真”にはなり得ないでしょう。
こういう東京と変わらない風景を「大阪の風景」として定着させるよりも、
大阪にしかない道頓堀のような景色を定着させるほうが簡単だし、観るほうにとっても分かりやすいんです。
そんな“無難な選択”がくり返された結果、今の「大阪=ミナミ」というのが出来上がった。
そう思うんですがどうでしょうか?
「東京は大阪が嫌い」はウソ?
冒頭で「東京は大阪が嫌いだから、意図的に大阪の悪いイメージを全国に広めている!」というのを紹介しましたが、これも僕は違うと思うんですよ。
「東京」という言葉が誰を指してるのか不明ですが、それが「東京の一般人」を指してるんであれば、大阪を嫌ってるのは東京人全体のほんの一部だと思います。
東京の大多数の人は大阪が「嫌い」なんじゃなくて「興味がない」んです。
大阪の観光地に興味がある人はたくさんいるはずですが、
大阪の「街そのもの」に興味がある人はかなり少数派だと思います。
だって考えてみて下さいよ、東京と大阪って500キロぐらい離れてるんですよ?
日本最大の都市に住んでる人が、500キロ彼方の“大きめの街”の規模なんか気にするわけないじゃないですか。
大阪の人だって、名古屋とか福岡の街がいかに発展してるかなんて興味ないでしょ?でも観光地には興味がある。それと一緒です。
「観光地への興味」は距離が離れていても関係ないですが、「街そのものへの興味」は距離が離れている場合、今住んでる街より大きいかどうかが重要になってくるんです。
だから東京メディアが映す大阪は、観光要素が強いミナミばかりになる。
これも「大阪=ミナミ問題」の大きな理由の一つだと思います。
まとめ
ここまで持論をつらつらと書いてきましたが、短くまとめると
- ミナミは特徴的なので「首都東京とは違う文化を持った西の大都市」をイメージするのに“都合がいい”
- よほど特別な街じゃない限り、500キロも彼方から「観光以外の部分」に注目してもらうのは難しい
- 東京は大阪が「嫌い」なんじゃなくて、観光以外の部分に「興味がない」だけ。
そんな話でした。東京と大阪の都市規模の比較に関してはこの記事で
関西弁と標準語の比較はこの記事で
色々書いてるので、ぜひ読んでみて下さい。 今回は以上です。
おまけ
東京と大阪のノリの違いは、ほぼ言葉の違いだ!っていう動画。